ベランダで作る野菜の記録


by yoshi09001

TACセミナー、翻訳における物質性

昨日は午後からJATのTACセミナーで、近現代日本文学の英訳で著名なマイケル・エメリック氏による、「翻訳における物質性」という講演を聞いた。

正直に言えば、翻訳の「物質性」って何のこと?くらいの軽い気持ちで参加したのだが、セミナー後、じわじわと考えさせられる気がしてきたので忘れないうちにメモしておこう。

歴史上初の日本語から欧米語への翻訳 - 辞書もなく、日本語ということばの解説者もいない時代に行われた初めての翻訳は、「本」そのものを解説する、あるいは再現する形で行われたようだ。本の装丁や文字(漢字、カタカナ、ひらがな)そのものの装飾性さえも解釈し、できるだけ再現する。本の持つ情報をできるだけ生のまま伝えようとすること - これを「物質性」としている。

しかし、時代が進み、辞書も解説書もできて、本文(テキスト)のみを対象とした翻訳が可能になってくると、当然ながら、オリジナルの「物質性」は薄れてくる。翻訳が生まれて、元の「本」は失われる。

自分が職業としている翻訳の原点はここにあるのだろうか - 実際、そのようなことは考えたこともなかった。

我々の翻訳は長い間の先人の努力により蓄積された莫大な財産の上に構築されており、その成果物をあたりまえのように利用している。いや、そのことは翻訳に限らず、科学技術をはじめすべてのことに言える。

しかし、だからこそ、たまには原点に立ち戻って考えてみることも必要なのではないか。原点までは戻らなくても、少しでも上流まで。何でも当然のように過去の資産を受入れて利用していると、この場合はこれが定訳だ、などと深く考えもせずに使ってしまってはいないだろうか。

技術者だったころ、新人技術者にはよく言ったものだ。うわべだけでなく、その原理や背景を理解しろと。なぜそうなのか、ということまで考えろと。翻訳も同じで、決して字面だけを追って翻訳してはいけない。

いろいろと考えさせられた、内容のあるセミナーだったと思う。できれば日本語でやって欲しかったが・・。

セミナー前の腹ごしらえはお蕎麦がいい。真希。
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by Yoshi09001 | 2014-07-13 08:00 | 野菜 | Comments(0)